共依存とは?
「共依存」とは、読んで字のとおり、お互いに依存してしまうことです。
共依存と言っても、ただお互いに依存して誰にも迷惑をかけないなら、別にかまいません。
でも「共依存」とわざわざ使うときは、それが他人に迷惑をかけているか、共倒れしてしまっているときです。
お互いが異常に依存してしまい、2人ともが立ちいかなくなります。
そしてそれが心地よく、お互いに抜け出せない状態のことを言います。
「共依存」という言葉は、病名ではありません。
そしてDVでよく使われる言葉ですが、DVに限ったことではありません。
夫婦のほかにも、親子・兄弟姉妹・嫁婿姑舅・親友・師弟関係・同僚など、人間関係の中ならどこでもあり得ます。
実際、軽いものも含めると、いたるところで見受けられます。
例えば、
「子どもに甘いものを異常に食べさせて、糖尿病にする親。」
ビックリされるかもしれませんが、こんな親、いるんです。
これは、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という名前がついている症状ですが、完全に児童虐待です。
この場合では、
・親は子どもを病気にして看病し、周りから同情が得られるのでやめることができない。
・子どもは甘いものが食べられるので、病気がつらいのに何も言わない。
「愛している」という名目で、子どもをコントロールする親。
↑
↓
「愛されている」という名目で、虐待に耐え、メリットをもらう子どもの構図です。
DVも同じ構図です。
「愛している」という名目で、妻をコントロールする夫。
↑
↓
「愛されている」という名目で、虐待に耐え、メリットをもらう妻の構図です。
共依存の構図は、よくこうなっています。
「愛している」という名目で、被害者をコントロールする加害者。
↑
↓
「愛されている」という名目で、虐待に耐え、メリットをもらう被害者の構図です。
ここで、「なんでこれが共依存?」と疑問が浮かびます。
①加害者はコントロールしているのに、なんで依存なの?
という疑問と、
②被害者は暴力で苦しんでいるのにメリットって何? それも「心地よい」だなんて・・・!?
という疑問です。
当然の疑問です。
このページでは、この疑問を解き明かして、「共依存」の構造について、お伝えします。
お互いの依存を見ていきましょう。
①コントロールする方の依存
DV夫は、妻の生活全体をコントロールします。
積極的に、自分から仕掛けていきますから、とても依存的には見えません。
ですが、見た目と違って、DV夫の本質はすごく「依存体質」なんです。
DV夫については、DV加害者の心理と、DV加害者の特徴などでお伝えしました。
DV夫は妻を「社会的隔離」して情報を与えず、夫に依存していくよう仕向けます。
妻を洗脳して、自分の言うことだけを聞く奴隷にしていきます。
長い時間をかけて、自分の思い通りに動く人形を作るんです。
そんな、根気があるように見えるDV夫ですが、実はとてもめんどくさがりです。
家事や子育てなどは女の仕事で、夫は家でふんぞり返るような家庭を目指しています。
家では何もしないのに、妻に尊敬され、褒めたたえられるような毎日が理想です。
家では「ふろ!」とか「ごはん!」とか言うだけです。
それも、そんな男性がカッコいいと思っています。
でも夫の理想の実現には、妻がずっと夫のことを見ていないと実現しません。
妻は24時間、夫の肉体的・精神的な満足のため、奉仕していなければなりません。
いつも夫のことを考え、夫にかしずき、何でも夫の言うとおりにしないといけません。
その上、何もしてくれない夫のすばらしいところを無理やり探して褒める・・・。
って、そんなことできるでしょうか?
無理ですよね。
妻の体は1つですから、そんなことはできるはずがありません。
それに対してDV夫は、妻をずっと監視しています。
自分は妻をこんなに愛して見ているのに、妻は24時間自分を見てくれていない。
夫は妻に期待していますが、妻にはできません。
それを見て妻の能力や、努力が足りないと言って腹を立てます。
絶対できないことを妻に押し付け、できないと怒る。
DVの基本的なパターンです。
そして、めんどくさがりのDV夫は、暴力を使います。
暴力が手っとり早いです。
それに、暴力のあとに優しくすることで、洗脳の速度を増すことができるんです。
DV夫は本能的にそれを知っています。
そして暴力の言い訳に、変な理由をつけます。
「料理の味付けが悪かった。」とか、
「妻がテレビを見て笑った顔が、バカに見える。」とか、
「もう友達とはつき合わないと言ったのに、連絡していた。」とか。
また妻は、そんな変な理由ですぐ納得してしまいます。
なぜ?
夫にそう教えられているからです。
従順にしていないと暴力をふるわれると、妻は体で覚えているんです。
そして、DV夫が言う変な理由の、結局行きつくところは、
「妻が○○してくれないから。」
です。
(自分は女の仕事のことまで考えてやっているのに)妻が言うことを聞かない。
(自分はいつもかしこそうに見えるよう配慮してやっているのに)妻がバカっぽい。
(自分は悪い人間にダマされないよう見てやっているのに)妻が悪いヤツとばかりつき合う。
それは、
「自分はこんなに愛して教えてやっているのに、妻が理解してくれない。」
ということです。
この考え方は、完全に「依存体質」です。
自分は妻に「してほしい。」ばっかりで、自分からは何もしない。
まるで、超わがままな子どものようなものです。
自立心なんて、まったく持ち合わせていないんです。
そしてDV夫は、妻の前だけでなく、世間に対しても依存的です。
自分が実力よりすばらしく見えるよう、いつも努力しています。
他人の目をいつも気にし、他人の好むように自分を演出します。
そのためなら、ウソだって平気でつきます。
「他人からの評価」がないと、生きていけません。
外ではずっと気を使い、家ではそれを暴力で発散する。
DV夫は、それを繰り返すことになります。
一旦その「負のれんさ」に入ってしまっては、元に戻ることができません。
ぐるぐる回っているれんさを、逆回転させることは、誰にもできません。
その「負のれんさ」の発端は、DV夫の依存心の中にあります。
でも当の本人は、気づきません。
いつまでたっても、人のせいにし続けるのみなんです。
②虐待に耐える方の依存
次は被害者側のお話です。
DV被害者の心理…③夫に依存している。では「共依存の始まり」についてお話ししました。
DV夫は暴力によって、無力感・劣等感・罪悪感など、あらゆるマイナス感情を妻に植え付けていきます。
夫は毎日のように、「お前はダメな人間だ。」と言い続けます。
また、何をしても叱り、暴力をふるいます。
暴力の理由はときどき変えます。
妻に法則がわかると、暴力をふるわれないよう、対策されてしまうからです。
妻は何をしても暴力をふるわれることが続きます。
そして、長い時間をかけて、「自分はダメな人間だ。」と思い知らされます。
夫は同時に妻を「社会的隔離」して、人間関係をうばいます。
色々な手を使って、夫がやったと解らないように、妻の人間関係を壊していきます。
妻の知らないうちに、大切な人が1人ずつ、妻から離れていきます。
妻は今までの人間関係を失い、「話すのは夫のみ」になってしまいます。
妻は誰にも相談できず、お金も持たされず、楽しみもありません。
これで、「何もできない妻が夫に依存する。」という状況が出来上がりました。
ここで、
②被害者は暴力で苦しんでいるのにメリットって何? それも「心地よい」だなんて・・・!?
という疑問が登場します。
今までの話では被害者の妻には、メリットなんて何もありませんもんね。
被害者のメリットは、意外にも2点あります。
1点目は、夫の用意した、「ハネムーン期」です。
この「ハネムーン期」は、ゼツダイな効果を発揮します。
虐待のサイクルで詳しく説明していますが、「ハネムーン期」があることで、洗脳の速度は増していきます。
いわゆる「アメとムチ」ですが、「アメ」がある方が「ムチ」の効果は上がります。
また逆に、「ムチ」がある方が、「アメ」の効果は大きくなります。
DV夫は、それを本能的に知っているのか、ぐるぐる繰り返します。
暴力だけでは洗脳の効果が薄いので、「ハネムーン期」にむちゃくちゃ優しくします。
その優しさは異常です。
そして時間が経つにつれ、暴力はひどさを増していきます。
それと比例して、当然優しさも増していきます。
この優しさを1回体験してしまうと、やめられなくなります。
夫と2人っきりの世界に住んでいる妻にとっては、なおさらです。
頼りにしている夫なので、本当にカッコよく見えます。
この優しさをまた体験したくて、暴力をふるう男性としか付き合わない女性もいるほどです。
そして2点目は・・・。
妻が用意します。
というより、妻が生きていくために本能的に生み出すと言った方がいいかもしれません。
DV被害者の心理で詳しくお話しした、あの感覚です。
「自分はきれいで悪くない。」という感覚。
これもそうとうな媚薬です。
暴力がひどくなり、もう生きていく資格がないと思うほど打ちのめされた妻。
自尊心のかけらもありません。
このままでは死ぬしかない。
いっそ夫の暴力で死んでしまえたらいいのに。
などと、頭をよぎります。
普通なら、こんな精神力で生きていくことは難しいです。
そこで妻の本能は、妻が生きていけるよう、妻の精神を守る感覚を出します。
わかりにくいですね。すみません。
妻の本能は、妻の命を守るため、この「自分はきれいで悪くない。」という感覚を出すんです。
妻は自分を天使のように、世の中で一番きれいな存在と感じています。
(妻の世の中は、夫と妻の2人だけの世界なので、当たり前のことですが・・・。)
世界で一番きれいな存在なので、生きていく価値があります。
生きていく資格を生み出すんです。
これで精神的にはどうにかバランスが取れて、妻は日常を送ることができます。
逆に、暴力といばることしか能がない夫を、秘かにバカにしたりしています。
妻だけの、誰にも言えない、秘密の感覚です。
この感覚が出てくると、妻はもう逃げる必要がありません。
暴力をふるわれるのさえ我慢していればいいんです。
わずらわしい人づきあいからも解放されます。
働かなくてもいいですし、あまり何も考えなくてもいいですし。
夫の言うとおりにしていればいいのですから。
ふ~。。。
というわけで、檻(おり)に囲われてしまった妻は、ドアを開けられるのに、出ていかなくなりました。
夫の苦労はこれで完結です。
「共依存」の出来上がりです。
2人が入ってしまった底なし沼とは?
いわば、DV夫は「先天的な依存体質」で、妻は「教育され、作られた依存体質」です。
「共依存」の状態になってしまうと、2人っきりでらせんを描くように落ちていくだけです。
お互い、良かれと思ってすることでも、逆に、はい上がれない原因になります。
誤解…被害者はなぜ逃げない?に詳しく書いていますが、DV夫は人間を「上」と「下」に分け、差別しています。
夫は「上」と「下」を、妻に暴力を使って教えます。
だんだん妻も、夫と同じ価値観になっていきます。
お互いのキーワードは「劣等感」と「優越感」です。
お互いが強烈に「劣等感」を持ち、それを補てんするため、「優越感」を探します。
お互いが足を引っ張り合い、「優越感」を求めて、お互いがバカにしあう。
そして、お互いがそれを教え合っているように感じてしまいます。
足を引っ張り合っているだけなのに、「成長」とカン違いして、一体感さえ生まれるしまつ。
2人とももう、世間で何が起こっているかなんて見えていません。
時が止まったような状態です。
2人ともここが底なし沼だと気づきません。
2人とも心の奥底では、
「もう暴力の世界はこれっきりにしたい。」
と思っているのに、自力で出ることはできなくなっています。
そこで、誰かの支援が必要になります。
家族であったり、お友達であったり、公的な支援者であったり。
誰かが引き上げないと、出てくることはできません。
でも本人たちには底なし沼は見えていないので、引き上げようとすると反発します。
支援者は専門家ばかりではないですから、反発されてまで支援するのはとても難しいです。
そこにまたジレンマが生まれています。
だからと言って、支援者は無理をしないでくださいね。
反発するのは「夫の洗脳」のせいだからといって、強引に助けてはいけません。
後から嫌がらせされたり、訴えられたり、支援者の正義感はムダになることも多いです。
見守ったり、待ったりすることも、支援者の大事な役割です。
次の妻からのDV(逆DV)では、夫からのDVと妻からのDVとの違いなどについて、お話しします。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。