暴力はエスカレートする
DV夫も、まだ結婚していないうちはとても優しく、暴力もふるいません。
まめにメールをくれるし、プレゼントもくれるし、「お前のことが心配だから…。」とか「お前を守りたい。」とか言うんですよね。
ホント、理想の彼氏なんです。
なぜって?
まだ他人だからです。
DV夫は外面が異常にいいです。
まだ他人の彼女は「外の人」なんです。
「外の人」には、「素晴らしい人」だと思われるよう、一生懸命優しくします。
彼女は「こんなに優しくて、頼れる人いない。」と言って、理想の彼氏として友人や親に紹介します。
結婚までのDV夫の演技力は本当に「素晴らしい」です。
そして、彼女は結婚します。
「彼女」から「妻」へ。
「外の人」から「内の人」へ。
そして、夫は理想の夫婦像や親子像も語ります。
「お互いが支え合って老後まで添い遂げる。」とか「家族全員が、成長し合う。」とか言うんです。
言葉としては、とても素敵に聞こえますよね。
その言葉を聞いて、妻の頭の中では言葉通りの、お互いが人格を認め合い、できることをお互いがやって励まし合い、仲の良い夫婦や家族の像が浮かび上がって想像されています。
その反面、夫の頭の中では、すごく暴力的なシーンが思い起こされているのか?というと、そうでもないんです。
夫の頭の中では、妻が思い通りに動き、ずっと自分だけを愛し、尽くしている姿が想像されているんです。
結婚生活が始まり、すぐに暴力は始まりません。
DV夫は、猫が毛糸の玉をもてあそぶように、「ちょい」「ちょい」と手を出してきます。
妻を試すんです。
最初はお尻をちょっと叩くとか、冗談交じりに頭をはたくぐらいです。
言葉の暴力も少しずつです。
ちょっと言って、妻の機嫌を伺います。
最初は冗談交じりに「バカだな。お前は。」くらいなんです。
「ちょっとずつ」がだんだんひどくなり、やがて肘で小突かれたり、
「何で何度言っても解らないんだ。」と言うようになっていきます。
夫は心の中で、
「今日はこれぐらいの暴力で、妻はかすり傷だった。逃げる様子はない。大丈夫だ。」
「今夜の妻の、あの表情は何だったんだろう?まだわかっていないようだ。」
「今ちゃんと、わからせておかないと後でしめしがつかない。」
などと考えています。
「ハネムーン期」の後、次の「爆発期」には、前回よりもひどくて屈辱的な暴力をふるいます。
そして、様子を探ります。
夫は心の中で、
「今日はこれぐらいの暴力で、妻は軽傷だった。逃げる様子はない。まだ大丈夫だ。」
と考えています。
まだ大丈夫と判断したり、妻の気に入らないところを見つけると、次の「爆発期」にまた前回よりもひどくて屈辱的な暴力をふるいます。
そしてまた、様子を探ります。
これを繰り返します。
暴力はエスカレートするんです。
らせんのように暴力は大きくなり、
最後には、「今日は死ななかったから大丈夫だ。」になります。
虐待のサイクルでお話ししたように、妻の方は、「虐待のサイクル」によって、「暴力」と「優しい」の両方を使われ、「優しい」が普段の10倍ぐらいに感じます。
だんだん暴力がひどくなってきて、妻は「夫の本当の性格はどっちなんだろう。」と考えます。
時すでに遅し・・・。
そのころには、もう妻の自尊心や、自己肯定感はめちゃめちゃに破壊されています。
自分のレベルが地に落ちた状態で考えますから、どんなにひどい夫でも、恋人時代や新婚の頃、ハネムーン期を思い出し、「本当は優しい人だから」となってしまうんです。
とても巧妙です。
だから、逃げなきゃダメ!
DVは、図式としては、
「夫が上の立場で妻を教育し、その教育に暴力を使う。」
ということです。
でも妻は、
「尽くして、私が完璧になれば暴力は止むだろう。」
などと考えるようになりますが、
果たして、自然に暴力って収まることはあるのでしょうか?
もうおわかりですよね?
正解は、「No!」です。
妻がいくら夫の言う通りにしたからといって、妻の家事がいくら完璧になったからといって、夫がそれに満足することはありません。
あるいは、夫が勝手に反省して、考え方を変え、暴力が収まることもありません。
復縁した例も無いことはないですが、妻が逃げて、夫は治療に通ったり、話し合いを重ね、何年も経ってから同居を試してみてのことです。
夫が暴力の後、「反省している」とか「愛してる」とか優しくしたりするのは罠ですから!
どんなに謝ってきても、どんなに優しくしてきても、心を入れ替えたわけではないんです。
ただのハネムーン期です。
DV夫は、せっかく調教しかけた奴隷を、そう簡単には手放しません。
そこで妻は情にほだされてはいけませんよ。
もう逃げて下さい! 逃げましょう!
相談してください。
次は、加害者は暴力を操っているに続きます。
今回も、つたない文章を読んでいただき、ありがとうございました。