私の体験
実は私自身もDV被害者でした。
もっとも私の場合は、結婚するときに「暴力をふられたら離婚します。」と告げていたので、手をふられることはなく、物を投げられる程度で、言葉のDV(精神的DV)が主でした。
その上、幸いなことに夫は浮気をしていたので、私は最も正当な理由で離婚することができました。
はたから見ると、別れられてよかった。よかった。ちゃん。ちゃん。なのですが。
それでは、終わりませんでした。
離婚後、襲ってきた精神的な後遺症です。
夫は私をコントロールし、私は夫に洗脳されていたのです。
結婚した直後から、
「家事の良し悪しが女の価値。」
誰かの奥さんと比較して、「お前の家事は20点。」
「お前みたいなヤツは浮気されて当然。」
「養っているのは俺。女は男を立てるのが仕事。」
「お前はバカだから、俺がいないと何もできない。」
などと時々言うようになりました。
結婚前は優しく、頼もしい人と思っていたので、最初は、冗談で言っているのかと思っていました。
だんだん回数が増えてきて、ウザったく思うようになり、少し言い返しました。
すると夫は、家を出て行ってしまいました。
数時間すると酔って戻ってきて抱きしめられ、
「俺はお前がいないと生きていけない。」
と言うのです。
私は、「そのうち子どもでも産まれれば、落ち着いてくれるだろう。」
「一度結婚してしまったんだから、少し我慢すればいいこと。」
などと、安易に考えていました。
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これからどうなったか。
夫の言動は、直るどころか同じことを繰り返し、エスカレートしていくだけでした。
《 私が夫に「何でそんなことばかり言うの?」と言う 》と、
《 夫は出ていく 》、
《 帰ってきて、お前がいないと生きていけないと言う 》
を何回も繰り返し、徐々に夫の帰宅回数は減っていきました。
気が付いてみると、夫は「付き合いの飲み会」や 「友達とマージャン」等の理由で、
朝、お金と弁当を取りに来るだけ
になってしまいました。
もう「一緒に住んでいる」とは言えない状態です。
毎日、朝1万円とお弁当を渡しました。
夫は人目を異常に気にする人だったので、毎日「妻のお弁当」だけは欠かさず持って行っていました。
毎日1万円夫に渡すので、月末になるとお金も尽きてきます。
夫に「もうお金がない」と言うと、
「お前が結婚前に貯金しているのを知っているんだぞ。あるだろう?」
と無理やり持っていきました。お小遣い、月30万円です。
私も働いていましたが、生活費の上、30万円もとても捻出できないので、結婚前に貯めた貯金を切り崩して夫に渡していました。
こんな異常な状態でも私はなお、
「尽くしていれば、変わってくれるだろう。」
と思っていました。
もう言い返すのも疲れてきて、気力を無くしていき、意見を言うことさえもできなくなった自分。
私にはまだその自覚はありませんでした。
そして、子供が産まれました。
子どもが産まれれば・・・
夫は変わってくれたでしょうか?
ベタな展開ですね。そうです。
子どもが産まれても、何も変わりませんでした。
時々、私の母が訪ねてきて、家事や子育てを手伝ってくれるようになりました。
夫婦間の問題は、誰にも言っていませんでしたが、母も私の言動から、
娘の様子が何だかおかしい
ことに気づき始めました。
母は少しづつ私から、日頃の状態を聞き出していきました。
何か月か経ったある日、母が、
「レイラ、あなた、つらいのを我慢してるんじゃないの?」
と言いました。
なぜか涙があふれてきました。
涙が止まらなくなり、母の前で1時間、嗚咽して泣きました。
私の中で、何かが壊れました。
4か月の子どもはキョトンとしていました。
母に、少し現状を話すと、
「そんなの普通の夫婦じゃない。異常だよ。」
「そんなにつらいなら、別れて帰っておいで。」
と言ってくれました。私は、
「もうお金にも限界が来ているし、別れるしかないのかなぁ」
と思いました。母には、
「もう少し考えてから夫に話してみる。」
と言いました。
母は、娘の言動がじれったいと思ったようでした。
もう無理。
それから1か月ほどたった後、夫が夜、帰ってくるようになりました。
私は、夫が考え直してくれたのだと思い、うれしかったです。
うれしい期間もつかの間、やっぱり夫が変な行動をしているのに気付きました。
時々、「海を見に行く。」などと言って、夜でもいなくなったり、
何も言ってないのに脈絡なく、「お前に刺される。」と言ったり、
友達あまりいないのに、徹夜でマージャン会をすると言って、5万円ほど持って3日間帰ってこなかったり、(夫は勤務交代制で、平日も続けて休みやすい仕事です。)
仕事の電話と言って外へ出かけて、2時間帰らなかったりします。
出張のお土産と言って買ってきたストラップを自分の携帯に付け、お揃いのもう一つはカバンに入れました。
家にいても、子どもを抱こうとはせず、外出した時だけ抱きます。
家事も子育ても、全く手伝ってはくれず、「お茶!」とか「コーヒー!」と言っていました。
1回、ゴミを7m先のゴミステーションに持って行ってもらったことがありますが、後から「手伝ってやった!」と1日10回くらい言うので、面倒くさくなって、もう何も頼まないようになりました。
そして、「お前の家事は20点。」とか「誰が食わしていると思っているんだ。」などとしつこく言うので、内心は、「私の貯金で食べているのに・・・」と思っていましたが、もう言い返しても何の得にもならないので、黙っていました。
ある日、決定的なことが起こりました。
6か月になった子どもが風邪を引いて、母乳を飲まなくなりました。
全母乳だったので、ストローなどの練習もしていなくて、仕方なくスプーンで、搾った母乳をほんの3摘ほどずつあげていました。
子どもは熱でハアハア言いながら泣いていて、顔は涙と鼻水でびしょびしょです。
私は、「がんばって、がんばって。」と言いながら、少しずつ母乳を与え、時々嘔吐するので、きれいにしたり、てんやわんやでした。
夕方ごろ、夫が、
「今日飲み会だから会場まで送って。」
と言いました。
私は、「この子をおいて行けないし、タクシーで行ってもらいたいわ。」
と言うと、夫は鬼の形相になり、
「お前は妻の役目も果たせないのか!」
「お前はもう、0点だ!」
と言って、そこにあった灰皿を私の方に投げつけ、出ていきました。
吸殻がそこらじゅうに散らばり、子どもの顔にもかかってしまいました。
私はあわてて子どもの顔を洗い、部屋中を掃除しました。
涙が次から次へと流れてきて吸殻と混ざり、床が灰色になっていきました。
私は、「もう無理だ。」と思いました。
私はやっと理解しました。夫は私も子どもも愛していません。
もう引き返すことはできません。
夫を見る目が、全く違うものになっていました。
・アピール上手の夫は、自慢ばかりする夫に。
・仕事ができる夫は、自分を大きく見せるのがうまい夫に。
・世渡り上手な夫は、言い訳上手な夫に。
・友達を選ぶ夫は、友達がほとんどいない夫に。
・頼もしい夫は、暴力的な夫に。
修羅場?
3日後、夫は帰ってきて、私を抱きしめ、
「俺は0点のお前でも、いないと生きていけない。」
と言いました。
何の感情もわきません。
どんなに理不尽なことを言っても、後でちょっと優しくすればいいと、簡単に考えている夫と一緒にいるバカらしさ。
そんな夫に、ずっとバカにされ、なめられている私。
もうウンザリでした。
私はやっと、別れを決意しました。
次の日、夫がお風呂に入っている間に、初めて夫の携帯の内容を見ました。
男名前の人と、ラブラブなメールが交わされていました。
ちょっと違和感があったのは二人のメールが、付き合っているというより、夫婦間で行われているような内容だったことでした。
私は急いで、相手の番号を書き写しました。
次の日、夫が出かけてから、その人に電話しました。
よくある昼のドラマで見たような、陳腐な光景です。
私、 「(夫の名前)の妻です。」
彼女、「えっ?」
私、 「あなたは私の夫と付き合っているのですか?」
彼女、「あっ、はい。」
私、 「あなたは私の夫を愛しているのですか?」
彼女、「今まで生きてきて、こんなに魅かれた人はいません。」
「って言うか、鬼嫁のあんたが離婚してくれないんでしょ!」
私、 「私は、夫があなたと付き合っていることを昨日初めて知りました。」
彼女、「えっ?」
・・・沈黙・・・
彼女、「あんたが『別れるなら死ぬ!』とか言ってるんじゃないの?」
私、 「私は夫と別れたいと思っています。」
・・・沈黙・・・
彼女、「どういうこと?私はあんたが離婚してくれないから駆け落ちまでしたのに!」
私、 「えっ?」
・・・沈黙・・・
私、 「1回会いませんか?」
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それから一週間ほど経ったある日、夫が帰ってきて、
「今までのことは水に流して仲良くやっていこう。」
と言いました。
私は、状況がうまく呑み込めず、
「頭を整理したいから、ちょっと待ってください。」
と言いました。
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後日、彼女と待ち合わせ、会いました。
彼女は、先日の電話の時のような勢いは無く、最初に深々と頭を下げて謝り、私との電話の後、夫と別れたと言いました。
彼女はゆっくりと、今までの経緯を話し始めました。
彼女にも旦那さんと2人の子どもがいて、私の夫とは仕事の関係で会ったこと。
最初は夫に付きまとわれ、断っていたが、何回も誘われ仕方なく付き合ううち、魅かれていったこと。
お互い別れて結婚しようという話になり、彼女は旦那さんに話し、けんかをしたり話し合ったり、子どもや彼女の親、旦那さんの親なども巻き込んで大騒動となった後、旦那さんとは別れることになったこと。
夫は私のことを、家事を全くせず、わがままですぐキレる女で、家計を握り、お小遣いをほとんどくれず、別れを切り出しても「死んでやる!」などと言って全く受け入れてくれないと言っていたようです。
仕方なく、600キロも離れた都市へ駆け落ちしたこと。
彼女は水商売で働き、夫は駆け落ちしたのに飛行機で仕事に帰るので、飛行機代や生活費を出していたこと。
半年のうちに、2度も堕胎したこと。
暴力もあったこと。
彼女は、駆け落ちしたのに仕事に帰ったり、離婚のことを言っても「妻が別れてくれない。」の一点張りだったそうです。
彼女は、何も先に進まないことにイライラし、悩んでいたところに私から電話があり、すべて悟ったそうです。
夫にダマされていたことに・・・
彼女との話の中で、夫が彼女と付き合い、家に帰ってこなくなった時期、駆け落ちして二重生活を送るようになったので、逆に家に帰って来るようになった時期が合い、やっと夫の不可解な行動の謎が解けました。
私は、想像を絶する不倫劇に言葉を失いました。
彼女と話すうち、二人とも金づるにされ、お互い嘘だらけのストーリーを教えられ、ダマされバカにされていたことが解りました。
この話し合いは、「妻と愛人の修羅場」と言うより、「被害者の会」のようになりました。
お互いの傷を慰め合うように、夫のついた嘘を挙げていきます。
なぜ二人ともダマされたのだろう?とか、お互い家事をどれだけしていたか、どれだけ尽くしたかなどと何時間も話して帰りました。
子どもを看てくれていた母に概要を話すと、母は「こんなところに娘を置いてはおけない!!」と言い、小さい車に入れられるだけの荷物を詰め込んで、指輪を置いて実家に逃げ帰りました。
そして、別れ
次の日から、夫の泣き落としや、脅しが始まりました。
「別れないでくれ」「俺にはお前がいなきゃダメだ」「もう浮気はしない」から、「無理やり帰らせるぞ!」など。
挙句には、「ヤクザを連れていくぞ!」「家を壊してやる!」等と脅されましたが、警察や弁護士さんに相談したりして、結局は調停で離婚することができました。
夫としては、金づるを失うのは困るので必死だったと思いますが、あまりにも分が悪いのでうまく行かなかったようです。
最後には、「私が仕事で忙しいときの夕食に、店屋物を取ったから精神的に苦痛だった」とか「私が出ていったときに洗い物が残っていて精神的に苦痛だった」などと言い出しました。
その時には、調停委員さんでさえ呆れ顔で、笑ってしまいました。
そして、慰謝料をもらって別れました。
(夫のお小遣いとして飛んでいった私の貯金に比べれば少ないものでしたが、今では勉強料だと思っています。)
これって後遺症?
そして・・・
一段落して、シングルマザーとして新たに人生を歩みだそうと、子どもを保育所に預け、仕事に復帰しました。
もう、地獄のようでした。
育休のブランクはあるものの、1年前までは普通にこなしていた仕事なのに、どうやって前に進めていったらいいのかわからなくなっていました。
何も自分で決められないのです。
簡単な事務連絡の書類もどう書いたらいいのかわかりません。
時候のあいさつを入れるべきか入れないべきかだとか、相手の敬称を「殿」にするか「様」にするのか、課長名で出すのか部長名で出すのかなど、どうでもいいことで悩んでしまい、全然前に進みません。
同僚や上司に聞くと、怒られそうなので聞けないまま、仕事が溜まっていきました。
家でも、子どもとどう接していいかわからず、引きこもって泣くばかりしていました。
母も最初は、私を不憫に思っていたので何も言いませんでしたが、だんだん、「レイラが産んだ子でしょ。話しかけて笑ってみなさい。」などと注意されるようになってきました。
保育園の先生も「どうされてますか?」とか、「困っていることはないですか?」と、口調はやんわりですが、心配されているようです。
私も、このままではいけないことはわかっていて、ずっと焦ってばかりなのですが、「なんでこんなことになってしまったのか?」、「どうしたらいいのかわからない。」、「私が悪いんじゃないのに。」
と、ぐるぐる考えるのみで、何の対策も打てずに日々は過ぎていきます。
これがDVの後遺症だとわかるには、少し時間がかかりました。
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次は、どうやって立ち直ったのか。
立ち直りたい!に続きます。
やたらに長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。